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2008.01.03 (Thu)

How I wish, how I wish you were here.


日、明けてすぐに近所のO神社に、愚弟とともに赴き、
とりあえず、しかししっかりと今年の幸いを願ってきた。
幸いが成就したためしはここのところ殆どないが。


で、


詩人としての人格について、
ちょっと考えてみる。






授業をしているときの自分。
はまちがいなく別の自分を演じている。
自分の本質に繋がる部分ももちろん見え隠れしているであろうが、あれは本来の自分ではない。

とは思っていても、生徒たちから見れば、あれがムラコシそのものなのであるのだから、他ならぬ「自分」の一つの姿ということもできる。

授業をしていないときの、仕事場の自分。
家にいるときの自分。
外で買い物をしているときの自分。
それぞれ、特に何かを演じているわけでもなく、しかし、やはり本来の自分ではないような気がする。

とは思っていても、自分を取り巻く人々から見れば、やはり他ならぬ「自分」の姿なのであろうとも思う。




で、誰とも接していない瞬間の自分。
一人の自分。
このとき感じる自分が、本来の自分なのだろう、と思う。

とは思っていても、



【More・・・】



このときは自分を取り巻く人々はいない。
だから、自分が自分であることを証明する存在、
がいない。



こんなあやふやなものが本来の自分であり、
決して逃れることのできない自分であるという、
その矛盾と、それに対する苦厄に、無意識のうちにさいなまれてきたのかもしれない。


これはきっと、詩を書く人の多くが感じる

哀しさ

の正体だろう。





詩を書くときの自分は、きっと自分が思う「本来の自分」のモードで書いているにちがいない。
「本来の自分」を告白するのが詩
と呼べるのであるのならば、
自分はまさに、本質をさらけ出そうと、詩を書いているのだろう。

何のために。

自分が自分であることを証明してくれる存在。
本来の自分を感じ取ってくれる、他人。


を求めているのかもしれない。



皆、詩を書くときにはどんな自分で書いているのだろう。
そしてそれは、「本来の自分」なのだろうか。

詩を書く人が哀しいのは

詩を書く自分を
自分であると
証明してくれる存在

を求めているから。


だから詩人は孤独になるのだろう。

だから詩人は詩を詠うのだろう。



僕が最近よく

I wish you were here.

とつぶやくのは、

つまりそういうことなんだな。





別に、詩じゃなくてもいい。

お互いの「本来の自分」が
孤独でなくなれば、
それでいい。
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