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2011.06.02 (Thu)

過去を抱えて生きる、ということ



 突然だが、
 マイフェイバリットシャークはシュモクザメ。
シュモクザメ
 こんな顔しておいて獰猛なサメの仲間だから気をつけてね。
 しかしまあ、何があってこんな顔になっちゃったんだろう。


 ムラコシです。


*****

 告知。

1 ROKURO第8号、まもなく発売

  ただいま編集作業の追い込み中。

  6月12日の文学フリマに、今回も出店予定です。
  ゲスト詩人も、いつもの方、久しぶりの方、初めての方と多彩。
  小生、短編小説も書いちゃいました。

  乞うご期待。


2 エッセイ寄稿

  とある方からのご依頼により、
  とあるサイトにエッセイ(のようなもの)を寄稿しました。


  当初は一般閲覧不可の予定だったのですが、一般公開されました。

  要するに何かというと、マキルさんのご友人であるTさんが企画された、
 サンデースクール20周年記念サイトです。

  自分は、『アスペルガートリック』の「ブラック・サブマリン」という
 曲をテーマに、書かせていただきました。
  こういっちゃ何だが、久しぶりに満足いく文章が書けた気がします。

 http://www.e-angel.jp/ss_anniv/



*****


 心が昂ったのは、先週の水曜日のことだった。

 言葉に殴られてきた。



【More・・・】

 以前、銀座のSさんの個展で会った、Kさんのライヴを見に行った。
CIMG5690.jpg

 Kさんの作品に触れるのは、もちろん今回が初めてである。


 ピアノ・バイオリン・ドラムの演奏をバックに、Kさんが朗読するというスタイル。

 後ろに音楽を流す形式で朗読をする方は多いが、実は案外難しいのではないかと常々考えてきた。このスタイルの場合、自分にはどうも言葉が音楽に埋もれてしまっていると感じられることが多いのだ。メロディーをつければまったく異なった化学反応を起こし、「歌」となって完成するのだが。

 この辺は自分でもうまく消化しきれていない。日本の場合、「詩歌」という言葉があるぐらい、音やリズムを重視した本来の意味での「韻文」の色彩が濃いから、日本語詩と音楽の融和性は高いはずだとも思う。では、言葉が埋もれるのは朗読者のテキスト自体の力が弱いのか、というとそうでもなかったりするケースも多いので、未だその仕組みはよくわからない。

 Kさんのステージは、そんな謎などどうでもよくなるほど、衝撃的なものであった。


 
 何と後ろに流れる音楽はキングクリムゾンの「エピタフ」に「クリムゾンキングの宮殿」である。言わずと知れたプログレッシヴロックの金字塔。曲単体で既に一つの世界が完成されている。
 そんな名曲に凡人が自作のテキストをかぶせれば、曲とのオーラの差がありすぎてまずまちがいなく言葉の方が負ける。

 しかしKさんの言葉は負けないどころか、完全に音楽を自分の方へと引き寄せ、難なく高次変換している。クリムゾンを今まで何度も聴いていただけにこれには余計驚いた。

 巨大な熊を手なずけて従え、一途に吠える狼だ。

 朗読自体も、エネルギッシュであるが、よく絶叫型のリーディングにありがちな「唾飛ばして声を振りしぼっときゃ完成」という罠(何を言っているのかわからなくなるし、個性を出そうと必死になっている割に皆同じに見えてしまう。)には決してはまらない。声は通るし、吠えているのに言語明瞭、テキストがざくざく耳に入ってくる。

 心臓を外側に出す、という一節が印象に残る。

 表層的ではないからだろう。
 内面をさらけ出しているからだろう。
 Kさんの朗読には、単なる言葉の遊戯ではない詩の本質が染み付いていた。

 ライヴハウスから溢れ出そうな客の数が、その力を物語っている。



*****


 人間がコンピューターに勝る点の一つに「忘却」がある。
 人は忘れるから生きてゆける、とよく言われる。

 しかし、はたしてそうだろうか。忘却はそんなに単純なものだろうか。


 コンピューターは自ら忘却することはできずとも、「delete」キーを押すという他者の行為によって、それだけで記録を全て消去できる。


 人間の場合は記録ではなく「記憶」だから消去に時間がかかる。


 感情と記憶は鮮明に残るものだ。一生をかけても忘却できる保証はない。それが辛い記憶であればあるほど、思いが強ければ強いほど、忘却の可能性は低くなる。
 しかも、何らかのアクシデントで封印ファイルが開かれたり、新たな苦い経験が上書きされたりすれば、すぐに記憶に追いつかれる。


 人は記憶を抱えて生きている。これは事実だろう。

 いつまでもしまって隠しておきたいのだが、自分の場合その記憶の容れ物のフタが緩いので、すぐにこぼれ出してしまう。

 最近こればかり言っているが、人間は本質的に個だ。個だから他者を求める。
 何故、個だと他者を求めるのだろう。

 たとえば、個々の小さな掌ではもてあましてしまう記憶を、こぼれ出さぬようにお互い受け止め合う存在としての他者。それも解答の一つにはならないだろうか。

 他者のことなど、本質的に理解できるはずもない。しかし、こぼれる記憶の仕組みを知る者であれば、受け止めるための手を伸ばすことはできる。こぼれる記憶の仕組みを知る者がそばにいれば、多少なりとも安堵を覚えることもできる。

 どっかの学園ドラマの「人という字は支えあって云々」という薄っぺらい常套句よりは、大分正解に近いような気もする。
 幸いにも自分は、先週の水曜日にライヴハウスで他者のこぼれる感情と記憶をいくつも受け止めることができた。
 かなりボコられたが(笑)

 この意識はもちろん、たとえば震災の被災者に対しても応用できるだろうし、


 もっと単純に、誰かの隣に立つ理由になったって、いい。


 なあ、そう思わないか、と誰にともなくつぶやいてみる。


*****


 そういえば、

 写生をするわけでもなく、写真も参考にせず、もちろんパソコンなどない時代に、サヴァン症候群の影響による驚異的な記憶力のみで旅先の風景を再現してみせた放浪の画家がいた。
15f58b6b.jpg

 彼、山下清も、過去を抱えて生きていたのだろうか。

 過去があふれ出して感情を噴霧していたのだろうか。


 今、無性にじっくりとその絵を見てみたい。


*****


 最近、銀座だの麻布だの渋谷だの、柄にもない街に行くことが多いが、
 金曜日は六本木に行く。

 金曜日なのに日曜学校の夜間授業があるらしい。

 サンデースクールライヴ。大トリだって、すげー。


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*Comment

お久しぶりです。
ムラコシ先生が退職してしまうときに小5だった、wです。受験も終わり、今は埼玉のR校にかっよてます。国語の基礎を作ってくれたムラコシ先生には感謝しています。またいつか会えるといいんですけどね。
若葉 本葉 |  2011.06.30(木) 23:26 |  URL |  【コメント編集】

イニシャルとHNから推測すると……あーわかった!
ごぶさたしてます。お元気ですか。
途中までしか見てあげられなくてすまんね。
埼玉のRというとなるほどあそこか。いい学生生活が送れるといいですね。
こんなところまでわざわざ来訪ありがとう。
むら |  2011.07.01(金) 02:29 |  URL |  【コメント編集】

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