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2008.02.10 (Sun)

幻影都市

 日はちょっとマジメに東京について考えてみた。

「それにしても奇妙な街だな、ここは。あいつの過去を追っかけてるうちに、何かこう時の流れに取り残されたような、そんな気分になっちまって……。ついこの間まで見慣れてた風景があっちで朽ち果てこっちで廃墟になり、ちょっと目を離すときれいさっぱり消えちまってる。それにどんな意味があるのか考えるよりも早くだ。ここじゃあ過去なんてものには一文の値打ちもないのかもしれんな。」
「俺たちがこうして話してるこの場所だって、ちょっと前までは海だったんだぜ。それが数年後には、目の前のこの海に巨大な街が生まれる。でもそれだって、あっという間に一文の値打ちもない過去になるに決まってるんだ。たちの悪い冗談に付き合ってるようなものさ。」

 

 昔の押井守の映画の中のセリフである。
 
 東京とは、つまり、このようなものなのだろう、と、昔から思っていた。



 平野啓一郎が『無常ということ』というエッセイの中で、京都の「景観破壊」問題について、似たようなことを述べている。

「彼らが愛しているのは、現実の生きた京都ではない。彼らが憤っているのは、京都そのものの破壊ではない。それは単に彼らの記憶の中の京都に過ぎない。変化することがなくなった時、京都は最早博物館のガラス・ケースの中に収められたミイラと同じ、死んだ町となるであろう。」
「百年、二百年経ってみれば、この町の長い歴史の中に一瞬現れては消えた幻のようなものではあるまいか。そうした幻がこれまでどれほどあったことであろう。それらが無限に集積し、今眼前に眺めている光景ですら一つの幻であることを疑わせる。変わり続けた結果、嘗て一度として何かであったことがない。しかも、その虚無の表層の目眩く衣替えの連続が、紛れもなく京都であるとしか言いようのないような或る固有の雰囲気を醸成している。」



 日本の大都市に共通する、生成と破壊の歴史。連綿と続く日本の「木の文化」と、中世以来の「無常観」がその根底に流れていることはよく言われることだが、ここで別に日本の文化を論ずるつもりはない。
 東京って、結局何なのか。それが問題なのである。
 平野氏が京都について看破した「幻」としての都市の姿は、もちろん東京にも当てはまる。しかし千年の都として人々に認識されている京都の場合、近代的ビルの乱立に対してある程度、そのエリア固有の歯止めがかかっているのも事実である。対して東京の場合、都としての歴史の浅さ故に、京都に比べ近代化の歯止めは圧倒的に弱い。つまり東京の「幻」としての都市の姿は、より一層虚無感を強めて我々の目の前に像として表出してくるのだ。



「昭和」とか「レトロ」がブームになっている。あの手のノスタルジーを全面的に否定するつもりもないし、自分もそれなりに情緒を感じることもできる。
 が、一方で、それにある種のインチキ臭を感じるのも、また事実である。
 今提示されている「懐かしの」云々はすべて、それを送り出す側の、昭和30年代に少年期を送った者たちにとっての思い出に過ぎない。もちろん、自分の少年期に重なる部分だって少なからずあることはあるが、それでも結局自分とは別の時代の「幻」という意識が、どこかで働いてしまう。
 それでいいのだ。
 東京はそれでいいのだ。
 所詮幻なんだから仕方がない。



 東京が好きか、と聞かれれば、答えに窮してしまう。非常に微妙だ。
 しかし、都下とはいえ、生まれも育ちも東京である自分にとって、この街が故郷であるということに一抹の寂しさを感じずにはいられないのも、事実だ。
 心の中に強くいつまでも残り続ける場所、自らの原風景としての故郷として、東京はあまりにも幻影的すぎるのだ。結局絶えず移りゆく川の流れのように、自分の中を通り過ぎてしまう。
 そしてそこに残るのは、自らすら「幻」としか思えなくなるような、曖昧模糊としたものとして在る自分の感覚のみ。この街で実存を保ち続けることは、困難を極める。
 だから、もし仮に明日東京が廃墟と化し、その存在を消してしまったとしても、自分はある程度納得がいってしまうと思うのだ。

 
 その意味で、東京が好きか、という問には、別に、と答えるしかない。
 しかし、近代化してゆく東京をどう思うか、については、別だ。
 好きではない。もちろん。
 しかし、その影で滅んでゆく東京を見るのは、嫌いではない。
 比較するのも恐れ多いが、花の散り際や欠けてゆく月に、「無常」の美しさがあることを看破した兼好法師と通ずるところがあるのかもしれない。



 最近思うことは、一度この虚ろな都会を一度離れ、本当に外側から見てみたい、ということ。
「幻」の中から見る幻ではなく、外側から「幻」を見たらどうなるのか。
 自分の位置。というものを初めて認識することができるのかもしれない。





 月島の古い路地の隙間から見える高層マンション。
 いとあはれなり。
 滅びの序曲。バベルの塔だ。
 


 荘周よ。
 ここにも、胡蝶が舞っている。
 



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*Comment

■はじめてのコメント

変わるモノと変わらないモノがあるとする。
人体の細胞は日々代謝を繰り返し、6,7年(もっと短いという説やかつては脳細胞は入れ替わらないという説もあった)で完全に入れ替わっている。一方でその人の性質・気質を決定するDNAは保持され(紫外線によって傷付けられたり、細胞分裂時にコピーに失敗したりすることはあるにしても)、細胞が入れ替わってもその人は相変わらずその人だ。
体細胞の代謝は個体を生存させるために不可欠だけど、DNAの継承は種の保存という意味で不可欠なんだよね。つまり人体では「変わるモノ」と「変わらないモノ」が共存しているんだ。

さて、人体=日本 細胞=東京(を始めとする大都市経済圏) DNA=地方(土地々々に継承される風景や文化)とするなら、東京が「変わるモノ」であることが解り易いと思う。
人体(日本)を生かし続けるために経済的に特化し、外界に対応するために代謝し続ける細胞(東京)と種(日本人)としての性質を保持するために変わらないDNA(地方)が共存して初めて日本という国が成り立っているのではないかなと思う(便宜上「東京」と「地方」という分け方をしたけど、その境界はもっと曖昧だけどね。地方は地方で同じような事があるわけだし)

ただここで厄介なのは「人は理によって利を求め、情によって常を求む」ってことだよね。人にはそれぞれ「変わって欲しいモノ」と「変わって欲しくないモノ」があって、それは必ずしも「変わるモノ」と「変わらないモノ」とは一致しないんだ。
日本初の超高層ビルである霞ヶ関ビルを設計した池田武邦は、高層ビルによって人々の暮らしが良い方に変わると信じて疑わなかった人なんだけど、現在では徹底的に環境に配慮した都市作りを提唱してたりする。結局、彼の望んだ変化は彼の「変わって欲しくないモノ」も変えてしまったと言う事なんだろうね。

東京が幻である事と幻なのが東京である事が両立するのかは解らないけど、変化に富むと言う事はそれだけ活気があると言う事だし(傍から見れば浮かれてるだけとも言えるけど)まただからこそこれだけ多くの人達を受け入れられるのだと思うんだよね。それに東京がこういう街じゃなかったら、GOが某サイトのメンバー達とはリアルで会うこともなかったかも知れない事を思えば、それもまた良しと言えるんじゃないのかな。

GOはホントはもっと趣き的なことを言いたいんだろうけど、せっかく一生懸命書いたからそんなに嫌がらずに読んでよ。
お詫びに大分前に作ってボツにした画像見せるからさ(URLからどうぞ)
ちょっと今回のテーマかすってるかなと思って。

んじゃ、またいつか。
yandi |  2008.02.13(水) 06:26 |  URL |  【コメント編集】

コメントどもです。
こんなテーマに食いついていただいてありがたひ。

DNAの比喩は非常に興味深いです。
東京と、そこにいる人々が同じ構造を有している、いわばメタ構造を形作っているとすると、東京に存在する(?)人々の苦悩がまさに「東京そのもの」である、ということなのでしょう。
「テセウスの船」というパラドックスの命題があります。ギリシャの英雄テセウスが帰還したときに乗っていた船を、補修を繰り返し保存し続け、すべての部品が補修の末新しいものと入れ替わったとき、その物体は「テセウスの船」と言えるのか、という問題です。アリストテレスの哲学などで様々な解釈がなされてきたようですが、東京もまたこれと同じ命題を背負って、補修を繰り返し存在し続けているのかもしれません。

 香港なんかに比べるとまだまだのような気もしますが、東京もいっぱしのカオスの様相を呈しているようです。

 なんかわかんなくなってきたw
 ではまた。
ムラコシ |  2008.02.14(木) 12:28 |  URL |  【コメント編集】

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