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2008.06.20 (Fri)

読む

 7月6日のROKUROライブチラシの完成版です。
 詳しくは、前回の日記を参照。
 rokuro_live_web_big.jpg

 大喜利もやるぞ!

 乞うご期待。

*****

 で、

 ついに、
 人前で読んでしまった。

 日曜日、久しぶりに高田馬場へ出た。
 私用で馬場に出るのはいつ以来だろう。

 目的は、「ベンズカフェ」の朗読会である。


【More・・・】

*****

 さら言うまでもないことだが、自分は大勢の人の前で何分も話すのを仕事にしている。
 生徒たちはもちろん、時には保護者会・講演会などで親の前でも話す。

 しかしそのときの自分は、講師としてのいわば表の顔をしているにすぎない。

 しかし、
 裏の顔、本来の自分の一部を言葉として不特定多数の人前でさらす、となると、話は違ってくる。
 自分にできるのだろうか。

 「ベンズカフェ」では、毎月第三日曜日の夜に、「ポエトリー劇場」という朗読会をやっている。いつぞやのBBQ以来、みなさんに誘われていたので、ものの試しに、と行ってみた。
 
 禁煙パッチのあまねさんに案内されて到着した「ベンズカフェ」は、オープンテラスのおっしゃれな店。
 何もないときにふらっと一人で、なんて絶対に行かないタイプの店だったw

*****

 で、
 なぜか、
 トップバッターにされる自分w


 あわわわわ、なぜだ!?
 坊やだからか!?
 父さんにぶたれたことは何度もあるのに!



 てのは置いといてw
 他の人のを見て、何を読もうか、どう話すかなど、心の準備をしようと思ってたが、それもできずw
 まあ、素の状態で行けたことがかえって結果オーライ、だったのかもしれない。
 他の方の年季のはいったぱほーまんすを見た後だったら、何もできなかったかもしれないw

 しかし、口を突いて思わず出たとはいえ、ヘタにウケを取ろうと
ずいぶん失礼なことを言ったような気がする。

「いつもは生徒の前で話をするんですが、今日の生徒は何というか、
かなりお年を召した方が…

とか

「まあ、『剛』はこの世に二人は要らないんじゃないか、なんて思ったり…」

とか


 主催の服部剛さん、すいません! 
 当日お越しの皆様、失礼いたしました!




 マジメな話にもどす。
「迷い犬」を読んだ。
 詩の投稿をはじめて半年後ぐらいの作品なので、ちょっと浅いかもしれないとは思ったが、自分なりに「朗読」で伝わる作品を選んだつもりだった。

 しかし、一箇所問題が発生。
 緊張で一箇所噛んだが、そこはまあいいのである。実はそれよりも重大なミスをしてしまった。

「鳴くのではなくて 泣くんです」 
というフレーズがあったのだが、これを音声でそのまま読んだだけでは伝わらないことに、三秒前に気づいた。

 とっさに
「くちへんに鳥の鳴くではなくて、サンズイに立つの泣くです」 と、やたら説明的なフレーズにしてしまった。
 あの連だけ浮いてたな、リズムが狂ったな、と今でも思う。

 ああ、なるほど。
 詩を書くのと、読むのとでは、やはり違うんだな。
 と非常に勉強になった。
 やってみないとわからんもんだ。


CIMG1613.jpg

 一仕事終えたあと、主催の服部さん(↑の写真)の
「なかなかいい滑り出しだったと思います」とのコメントをいただいた。
 また、「ダブル剛」が実現した、とも言ってくださった。

 「ダブル」の片方となるには、まだまだ力不足だし、そもそも「ダブル」に加えていただくこと自体恐れ多い(幽霊部員のように、一応現代詩フォーラムにも登録はしているのだが、そっちは「ムラコシゴウ」名義である。理由は、「服部剛」さんという超大物と同じ名前で出すのは失礼と思い、敬意を表して、「剛」の使用を控えた、という次第である。ホントだよ)のだが、
 服部さんはあたたかくこの場に迎えてくださった。
 本当にありがとうございます。 


 また、席に戻った後、周りのみなさんが
「声が通ってて、よかった」
 とおっしゃっていた。
 よかった、なんとかデビューできたようだw


 あとは、第三部まで、まったりと参加者の朗読を聞いて過ごした。
 服部さんのゆるーく、優しい流れのある司会がよかった。
 酒が回ったあとの力の抜け具合がまたよかった。
 参加者の顔ぶれも色とりどり、かなり「濃い」方もいらっしゃって、圧倒された。

*****

 回は、詩を「書く」のではなく「読む」という行為の奥深さを勉強することができ、大変有意義だった。そして、皆さんの朗読を聞きながらいろいろと考えるところはあったのだが、それはもう少しこの朗読会の参加を重ねてからまとまるのかな、と思う。
 ただ、現段階で少しだけ言えることは、
「詩を文字として送りだすことと、詩を音声として送り出すことは、似て非なるものである。」 ということ。

 日本の伝統的な七五調や、「韻文」すなわち韻を踏んだりリズム感(あるいはグルーヴと言ってもいいかもしれない)を出したりすることを前提として発展してきた外国の詩の特質は、明治以降の自由詩を中心とした日本の近現代詩(当然、我々が作るものも含めて)においてはかなり薄くなってしまっている。
 しかし、「朗読」というスタイルは、もっと原始的な、つまり音声やリズムのある「韻文」としての詩を発現する形式なのではないだろうか。

 西洋の吟遊詩人。
 「短歌」「長歌」「旋頭歌」「連歌」…「歌」の字が使われる日本の詩。
 詩を書くことを「詠む(よむ)」と表現する日本語。
 口承で伝えられてきたアイヌの叙事詩「ユーカラ」。

 つまり、朗読は本来、伝統的な「韻文」の表現方法であり、それを明治以降の日本の「自由詩」にあてはめるのは、実は非常に難しいことなのだろうと思う。
 
 日本語でロックが歌えるのか、という議論がその昔、あったという。
 残念ながら自分は日本に「ロック」そのものはないと思う。
 しかし、数多くの挑戦者がロックに挑戦した結果、日本語とロックは融合し、別物としての「日本のロック」というものが、まちがいなく存在するようになった。

 同様に、この間高田馬場で詩を朗読した人々がやろうとしていたことは、
 文字寄りの表現である新しい「自由詩」と、音声・リズム・グルーヴ寄りの表現である伝統的な「朗読」の融合の端緒を捜している人々の、試行錯誤する姿そのものではなかったか、と思う。

 なんだか判らなくなってきたが、とりあえず自分は文字として表現する「自由詩」の側からのアプローチで、その限界や壁がどこに存在するのか、あるいはそれは解決できるのか、などについて考えて、また読みに来たいと思う。



 ……いやいや、そんなこと考えてたら、詩なんか書けなくなるがなw

 まーいいや。あまり考えずにまた読みに来たい、と思う。


*****

 今回の朗読に参加するきっかけを作ってくださった、先日のBBQの参加者のみなさん、どうもありがとう。


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 |  2010.09.26(日) 13:19 |   |  【コメント編集】

■Re: お久しぶりです

匿名希望の方>
ごぶさたしております。
こんなところまでようこそいらっしゃいました。
実はこういう活動をしてたわけです、ハイw
お恥ずかしい。

今は仕事を離れてますが、いつまでも教え子の応援はするつもりです。
がんばってくらはい。
ムラコシ剛 |  2010.10.03(日) 05:19 |  URL |  【コメント編集】

若杉に聞いた・・・。うわぁ・・・とおもった。

さりげユーチューブにwwwみたいなw
クラッシャー |  2010.10.17(日) 00:05 |  URL |  【コメント編集】

■Re: タイトルなし

ク>

あー、2ヶ月放置してたら見逃してた、すまん。



うわぁ・・・て、おい、
頼むから絶句はやめてくれw
何だよ、その残念な人扱いは。
せめてだれかみたいに「キャハハハハハ」にしてください。お願い。

つーか、ようつべアップしたのは俺じゃないぞ、念のため。





12月だな、がんばってね。



ムラコシ |  2010.12.02(木) 12:13 |  URL |  【コメント編集】

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