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2009.06.14 (Sun)

出かける

今日はROKUROのイベントの日。
詳細は前回の日記を
http://gooveravillage.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html#more

日々に忙殺され、相変わらず調子はよくないが、

司会者として
詩書きとして

薄墨が流れる空気に、言葉を零してくることにする。

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*Comment

■おつかれでーす

v-48
おつかれさまでーす!
司会っぷり!

スンマセン、こそばのキャッチフレーズがトンでしもった、
いや~、
自分の途中から、状況に吐き気をもよおした、
キタナイ話でスマン。 
一編目はマシだった。
一文字ずつ卵産むみたいにゆるくり読んだ。
二編目読もうと思ったら、テキストに違和感があって、
ゴウさんを見てしまったw(きょとんとして、少し頷いてくれた)
もちろん、読み込んでいたけど、見た瞬間ヤベーな、と思った。
アレは書けない状況を無理に書こうとした詩のカタチに象ったもの、
テキストがむき出しの刃みたいにギラギラして、
人前で吐血と吐瀉物を同時に吐き出すかも知れない、と思った。
コエーよ。スゲー悪夢だ。(笑。
状況がそうしたのか、俺がそうしたのかは不明だけど、
肉体に拒絶されたのは解った。
俺がいない、俺は何処だ? 愕然とした自意識w

俺はゴウさんのテキストが持つ、
詩人とか男とか女とかそういう前提の
もっと以前の人間の存在の理不尽さや不確かさに怖れを感じる、
それをリーディングしているのを見て、
あまりに普段どおりに読んでいるから、気づかなかったけど。

俺には体がなかった。肉屋に並ぶ一人だった。

ゴウさん、でも、楽しかった。
ありがとう、お疲れまでした。
(超個人的なこと書いてごめんなさい、忙しそうなので。)
また、打ち上げましょうー。
timo |  2009.06.16(火) 16:48 |  URL |  【コメント編集】

てぃもさん、先日はお疲れ様でした。

てぃもさんのリーディング、二編目の異変には気づいてました。
突然緊張しだしたので、どうしたのかと思ったのですが、なるほど、奥深いものだったんだね。

てぃもさんはそれどころではなかったんだろうけれど、自分にとってこの話は非常に勉強になったんです。

言葉には、二種類のものがある、と最近考えるようになりました。
一つは、内側の思考イメージを言葉に変換し、表出するもの。
自分の詩もそうだと思いますし、詩に限らず、日常生活で発せられる大部分の言葉が、この過程をたどって発せられているはずです。

しかし、もう一つ、内側の思考イメージが存在しないのに、言葉が先にある、というケースも存在するのかな、と思うのです。
発せられた言葉に、後天的に意味あるいはイメージ(のようなもの)が付け加えられる。
「言霊」というのは、こういうことを言うのかもしれない。

てぃもさんや、なっつんの詩には、しばしばそのように思えるフレーズが登場する。それができる人は少ないと思います。

二編目の詩でてぃもさんが感じた異変は、いったん吐き出した言葉に言霊のようなものが宿って、作者に返ってきたことの何よりの証ではないかと思います。
あの詩の言葉に、それこそ刃のような力が宿った、ということなのではないでしょうか。
よく小説で、登場人物が作者の手を離れて動き出した、という話を聞くけれど、これはそのひとつなのではないかと。

自分にはむしろ、その方が戦慄です。

だから、二編目の朗読は、今思うと、凄まじい時間だったのだな、と思うのです。
肉体と精神と、自らの言葉の乖離を自らの詩で感じることのできるてぃもさんは、まさにROKUROの詩人ではないかと思うのです。詩人として、自分の才能に恐怖することを許された人になったのではないかとw

人間存在の理不尽さ、に関してですが、これはきっと、現実と想像の世界がイコールで結ばれる、という自分の観念の表出なのかな、と思います。
このブログの「胡蝶之夢」というサブタイトルは、荘子の「万物斉同」の思想を表す有名な話からきています。
現実も夢も、本質はひとしいが、人間は「物化」(だったかな)という概念で線引きをしてしまう。そこを乗り越えた世界を、自分は求めたいのです。
まあ、現実的には到達できるわけもない観念論ですが、詩作において常に意識している概念です。
ただ、自分が想像の世界を立ち位置として見た現実は非常に空虚なもので、それがイコールで結ばれるのであるならば、この世界の本質は「空しさ」というふうに解釈できてしまう。自分の詩がてぃもさんの言うように存在の不確かさを感じさせるのならば、それは的を射た読み方だと思います。
これは荘子の世界から見れば、誤りでしょう。荘子は世界に絶望することなどないはずだから。
この辺は、自分でももうすこし考えを整理したいところです。

オレも自分のことばかり語ってしまったw

だけど、こんなことを考えられたということは、やっぱりあのイベントは楽しかったんだ、と思うのです。

また飲みましょう。
ムラコシ |  2009.06.17(水) 14:58 |  URL |  【コメント編集】

先日はお疲れ様でした。

横レス失礼いたします。
お二人のコメントを興味深く読ませていただきました。

ティモさんのあの緊張は、そういうことだったのですね。
そこまでセンシティブな感性に驚くと共に、上手く言えないけど“本物”を感じました。
わたしのような凡人にはない特別な領域から、詩が生まれているような気がします。

剛さんが言われていたように、「内側の思考イメージが存在しないのに、言葉が先にある、というケースも存在する」というのに当てはまるとわたしも思います。

わたしもできることなら、脳幹から湧いてくるようなものを描いてみたいと思うのです。
描いてみたら、詩になっていた…というふうに。

それは天性のもので限られた人間にしか持ち合わせないかもしれませんが、
頭から自分自身を否定ぜずに、いつか何か降りて来ないかとその日を期せずして待つのも、詩を書く上でまた一興かな…なんて思ったりしてます。

今回のROKUROライブは、お二人のコメントを通して、ナイフのような感性を持つ若い詩人の方たちの側面を発見できる場に居合わせたのだなと思うと、感慨深いです。

本当にイベントに参加できて嬉しかったです。
ありがとうございました。
渡 ひろこ |  2009.06.17(水) 21:53 |  URL |  【コメント編集】

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